第58回
「禅をきく」講演会
ご挨拶
臨済会会長 平林寺専門道場師家 松竹寛山老師
この度「禅をきく講演会」を、初めてオンラインにて配信する運びとなりました。コロナ禍を受けての、新しい試みです。
お一人目は、岐阜伊深正眼寺、山川宗玄老師による講演です。
山川老師の住職されている岐阜伊深正眼寺は、臨済宗随一の鬼叢林(おにぞうりん)として全国の雲水から恐れられ、修行の厳しさで知られる道場です。今般の臨済会初めての試みに、大変お忙しい中を快くご協力をいただきました。本当の自分とは何か、先行きの見えない時代にどう生きればよいのか、宗門の第一人者である老師の禅を語っていただきます。
お二人目は、学習院大学資料館研究員、田中潤先生です。田中先生は、幼少より趣味とされていた墨跡蒐集が高じて、現在は宮中装束の研究者として活躍されています。今まで、臨済宗の法衣・袈裟については、一般にあまり語られることがありませんでした。今回はご自身の生い立ちを交えながら、宮中装束と臨済宗装束とのつながりを、解説していただきます。
尚、臨済会では本年八月、ホームページを全面リニューアル致しました。合わせてご高覧いただけますと幸いです。
世情がゆるすようになりました暁には、再び有楽町よみうりホールでの講演会を再開致します。本年はご自宅など安全・安心な環境にて、ごゆっくりオンライン講演会をお楽しみください。各位には、またお目にかかる時まで、どうぞお元気で。

講師のご紹介
山川 宗玄 老師 (正眼寺専門道場師家)
昭和二十四年、東京生まれ。東久留米市出身。埼玉大学理工学部卒。昭和四十八年、平林寺白水敬山老師について得度、昭和四十九年に正眼僧堂に入門。梶浦逸外、谷耕月両老師に参じ、のち耕月老師より嗣法する。同六十二年に和歌山県由良の興国寺に住し、平成六年十二月より現在、正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学長。「無心の一歩を歩む』『生きる』(春秋社)ほか。

“生きる”
―それは目を覚ますこと―
どのような時季(とき)にも足を地に着けて生きること。それは簡単なようで実に難しい。そこで坐禅の真の意味を説く「坐禅義」には“念起らば即ち覚せよ。 之を覚すれば即ち失す”とある。雑念も妄想も…不安や恐怖もそれを乗り越えるためには覚する。つまり気付き、目を覚ますことが重要であると。
さて今日、新型コロナウイルス禍に依って正に世界中で人間一人一人がどう生きるかが問われる時代になった。そしてこれこそが、足を地に着けてということ。このような時、目を覚ますとは一体どういうことなのだろう。
田中 潤 氏 (学習院大学史料館EF共同研究員)
学習院大学・同大学院修了。博士(史学)。同大学史料館研究員。専門は服飾を中心とした有職故実。学習院大学・お茶の水女子大学・杉野服飾大学非常勤講師。東京文化財研究所·國學院大學客員研究員。平林寺世話人。

有職文様 (ゆうそくもんよう)
―文様・色・織りから読み解く臨済宗の法衣・袈裟―
和尚様方の法衣・袈裟をじっくり見たことはおありでしょうか。臨済宗各派の管長様がお召しになる、緋や紫の地色に文様を織り出した法衣や、金襴で御本山の御紋章を表した袈裟。また修行僧が身に着ける黒無地の法衣・袈裟。これらに使われる織物の文様・色・織りと、天皇陛下の即位の礼に用いられた、宮中装束の生地である有職織物には深い共通点があります。法衣・袈裟の文様・色・織りを通じて、臨済宗に信仰を寄せた先人たちの姿を紹介します。
第一話
“生きる”
―それは目を覚ますこと―
前編
第二話
“生きる”
―それは目を覚ますこと―
中編
第四話
有職文様(ゆうそくもんよう)
―文様・色・織りから読み解く
臨済宗の法衣・袈裟―
前編
第五話
有職文様(ゆうそくもんよう)
―文様・色・織りから読み解く
臨済宗の法衣・袈裟―
後編